前田寛治《メーデー》1924年頃 個人蔵

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昭和の洋画を切り拓く 佐伯祐三、前田寛治、里見勝蔵たちの若き情熱

2017.7月号

美術hiroba
美術館へ行こう! 
北九州市立美術館 
学芸員 山下理恵

 文明開化の明治を経て、さらに大正から昭和へと移ろうとする時代。西洋の模倣を脱し、新しい日本の洋画を生み出すことを夢見た若き芸術家たちがいました。留学先のパリで出会った前田寛治、里見勝蔵、木下孝則、佐伯祐三、小島善太郎は、互いに親交を深めながら制作に没頭し、帰国後の1926年、「1930年協会」を結成します。愛と尊敬と芸術によって結ばれたコロー、ミレー、ルソーら「1830年派」のように、そして、充実した仕事を成して来るべき「1930年」を迎えるための、若き青年画家たちの挑戦でした。

前田寛治《メーデー》1924年頃 個人蔵


 1930年協会第1回洋画展覧会には、会員の滞欧作を中心とした作品が並び、好評を博します。印象派を脱し、フォーヴィスムやキュビスムへと多様に展開するヨーロッパの最新の美術動向を踏まえた彼らの画風は、当時の洋画界に一石を投じ、多くの若手画家の共感を呼びました。展覧会終了後には、野口彌太郎、林武、木下義謙、古賀春江、林重義ら二科会の若手作家を会員に迎え、翌年の第2回展から公募展として一般から作品を募るようになると、組織はさらに拡大します。
 会員たちは、二科会、春陽会、国画会などの既存団体に在籍しながら会派を超えて集まり、新たな芸術の地平を切り拓(ひら)いていきました。洋画研究所の設立、美術評論家を迎えての講演会や講習会開催など積極的な宣伝活動も功を奏し、1930年協会展は、若手画家の登竜門的存在となります。
 しかし、この勢いに危機感を募らせた二科会は、二科会員は1930年協会の会員を兼任できない、という決まりを設けました。結果、創立会員の里見勝蔵が1930年協会を離脱。さらには佐伯祐三、前田寛治の相次ぐ病没、木下孝則の渡欧などによって、主要メンバーを欠いた1930年協会は、急速に弱体化します。1930年に開催された第5回記念展は、これまで以上の盛況を呈す一方で、組織の足並みには乱れが生じました。
 そのなかで、1930年11月、1930年協会を継承、発展させるかたちで発足したのが、独立美術協会です。会員が既存の美術団体に在籍したまま活動していた1930年協会とは異なり、独立美術協会は、「既成団体より絶縁」し、「新時代の美術を確立」することを謳(うた)っていました。創立メンバーは、二科会の里見勝蔵、児島善三郎、林重義、林武、川口軌外、小島善太郎、中山巍、鈴木亜夫、鈴木保徳、春陽会の三岸好太郎、国画会の高畠達四郎、フランスから帰国した伊藤廉、福沢一郎、清水登之です。

三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》1934年 東京国立近代美術館


 1931年1月に開催された第1回展は、日本的フォーヴィスムが多数を占めつつも幅広い作風の作品群が会場を彩りました。会員の鈴木亜夫をして「それは作品の洪水であった」と言わしめた、1930年協会の勢いそのままの大盛況の船出でした。また、この第1回展では、福沢一郎の滞欧作が特別陳列され、日本で初めてシュルレアリスムの作風が本格的に紹介されました。
 以上、ざっと1930年協会と独立美術協会の創立のあらましを述べました。多くの画家たちが独自の表現を磨く場となった両団体は、今では日本近代洋画史を概観するうえで欠かせない存在です。本展では、その二つの美術団体で活躍し、一躍時代の寵児(ちょうじ)となった若き画家たちの挑戦を約70点の作品からたどります。その情熱は、今なお輝きを失わず、私たちを魅了することでしょう。



Information
昭和の洋画を切り拓く 
佐伯祐三、前田寛治、里見勝蔵たちの若き情熱

【会場】
 北九州市立美術館分館
 (リバーウォーク北九州5F)

【会期】
 7月14日(金)〜8月27日(日)
 ※会期中無休

【開館時間】
 午前10時〜午後6時
 (入館は午後5時30分まで)

【観覧料】
 一般1100円(900円)
 高大生600円(400円)
 小中生400円(300円)
 ※( )内は前売りおよび20名以上の団体料金
 ※こども文化パスポートの適用あり
 障害者手帳提示の方は無料
 年長者施設利用証提示の方は2割減免

【お問合せ】
 093(562)3215