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コレクション展Ⅰ 没後30年 平野遼
2022年5・6月号
美術・ギャラリー
2022年4月28日
かるかる特集
北九州市立美術館 学芸員
重松知美
人間や社会のありようを見つめ、ひたむきに描き続ける姿から、「魂の画家」と評された平野遼(1927~92年)(図1)。北九州市立美術館では、北九州を拠点に活動し、今年没後30年を迎える平野遼の特集展示を行っています。
平野遼は、大分県に生まれ、まもなく北九州へ転居し幼少期を過ごしています。子どもの頃から絵を描くことが好きだった平野は、45年、敗戦にともなう除隊後、戦後の混乱の中、独学で絵を学び画家として歩み始めます。49年、22歳の時に知人の紹介を頼り上京。住み込みの手伝いや知人宅を転々としながら、夜はポスターや似顔絵描きで稼ぎ、昼はデッサンに没頭という生活を送っています。その後、九州に戻った平野は51年から自由美術家協会展への出品など、東京での作品発表の足掛かりを作ります。57年に東京南画廊での個展を機とした評論家滝口修造との出会いと59年制作の《青い雪どけ》(図2)への評価を得たことは平野に大きな刺激を与え、その後の表現の転換へとつながっていきます。初期の戦争の傷あとを感じさせる作風は、50年代末頃から60年代にかけて抽象表現へ、そして具象表現へ変化していきました。
50年代から60年代の平野の作品で注目されるのが、蝋画(ろうが)(図3)です。いわゆる伝統的なエンコスティック技法ではなく、平野が極貧の中で油絵の具に代わる表現として編み出したものです。照明代わりに使っていた蝋燭(ろうそく)の蝋を水彩の上に垂らして擦り、さらに蝋を垂らして擦り描いたもので、独特の光沢と透明感のある深い色合いが特徴です。
九州と東京との往復を続けながら精力的に発表を続け、70年代に入ると再び具象表現へと戻ります。人物は不要な部分をそぎ落とされた、ジャコメッティの造形をほうふつとさせる平野独特のフォルムがみられるようになります。平野の作風を特徴づける独特の深い色彩による闇とそこから浮かび上がる光や人物、異形のものたちの姿、そしてそれを象(かたど)る繊細な線描は、平野が自身の内面へと深化し凝縮させ、その本質を浮かび上がらせたものです。
平野の関心は、自身の内面だけではなく、社会の中での人間のありように対して向けられていました。それは例えば戦争などの紛争や公害問題など、さまざまな問題の中に人間の姿を凝視しています。それがいかなる姿であろうとも目を背けず真実をつかみとり表現すること、それが画家の使命だと平野は考えていました。そのテーマの普遍性ゆえに、没後30年を経てもなお、平野の作品は私たちに深い感銘を与え続けるのでしょう。
当館では10年ぶりとなる平野遼の特集展示をぜひご覧ください。
I N F O R M A T I O N
コレクション展Ⅰ 特集 没後30年 平野遼
【会場】
北九州市立美術館本館コレクション展示室
【会期】
4月9日(土)~8月14日(日)
【休館日】
月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館し、
翌火曜日に休館)
【観覧料】
一般300(240)円
高大生200(160)円
小中生100(80)円
※( )内は20名以上の団体料金
※北九州市、下関市、福岡市、熊本市、鹿児島市に
お住まいで、65歳以上の方は公的機関が発行した
証明書を提示で観覧料90円
※障害者手帳を提示の方は無料
【お問合せ】
093(882)7777
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