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ノスタルジック煉瓦
2018年9月号
自然史・歴史・文化財等
2018年8月31日
埋蔵文化財hiroba
遺跡からのメッセージ
(公財)北九州市芸術文化振興財団
埋蔵文化財調査室
学芸員 安部和城
煉瓦(れんが)は、幕末から明治時代にかけて日本が近代化を推し進める中で導入した資材で、最も初期には日本人の手によって反射炉築造のための耐火煉瓦が焼かれました。その後、一般的に見られる赤煉瓦が、「お雇い外国人」と呼ばれる人々によって製造されるようになります。そして明治時代の中頃から日本各地(特に関西・関東)で煉瓦工場が建設され、明治から大正時代に大量生産され、一大建築資材として君臨します。1923(大正12)年の関東大震災後、煉瓦の耐震性の問題から徐々に鉄筋コンクリートにその覇権を奪われていき、使用されなくなります。
現在、北九州市では明治時代に煉瓦を製造していた工場は確認されていません。そのため北九州市内に存在する明治時代の煉瓦遺構に使用されている煉瓦は、関西方面などから買い付けたものと考えられます。
また、明治時代の煉瓦の中には、「刻印」と呼ばれる記号が打たれているものがあります。これは煉瓦を製造した会社が自社の製品を示すために打っているマークで、煉瓦遺構を丹念に観察すると見つけることができます(写真1)。

写真1 煉瓦に打たれている刻印 手向山砲台
明治時代前半以降、北九州市域には小倉城下町周辺や門司地域を中心に数多くの煉瓦構造物が建造されていきます。その中でも1875(明治8)年頃から小倉城内に建造された陸軍施設や、明治20年代に建造された九州鉄道の橋脚群(写真2)、日清・日露戦争に向けて建造された下関要塞(ようさい)(写真3)などの一部は、市指定文化財になっています。

写真2 九州鉄道 茶屋町橋梁(きょうりょう)

写真3 下関要塞 高蔵山堡塁(ほるい)
九州鉄道の煉瓦橋脚は現在も北九州市内のいたるところに残っており、一部は上の線路部分が道路になっていますが、今でもその上を電車が走っているものもあります。また、下関要塞もそのほとんどが当時のまま現存しており、ひっそりと山の中にたたずんでいます。鉄道関係の遺構は、残念ながら再開発などによって年々姿を消しつつあります。
今年は明治維新からちょうど150年ですが、歳月を経ても明治時代は私たちの周囲に息づいています。門司港の赤煉瓦建物を見るときに感じる「ノスタルジア」は、明治時代の感覚とイメージが私たちの中に残っている証拠ではないでしょうか。
時代が、世代が変わっても、そこには職人の汗が、たくさんの人々の歴史が、その場所に刻まれています。歴史は繋(つな)がっていて、今、私たちはその先端にいるのです。ぜひ、皆さんの住んでいる付近を探してみてください。
皆さんの目の前に見える景色が、この拙い文章を読んだ後にほんの少しだけ鮮やかになることを願って。
参考文献
水野信太郎 1999年『日本煉瓦史の研究』 法政大学出版局
〈埋蔵文化財の展示案内〉
・北九州市立埋蔵文化財センター
〈小倉北区金田1の1の3 093(582)0941〉
北九州市を掘る(90)
「弥生から中世の村と祭祀 ―祇園町遺跡第12地点の調査から―」
小倉南区祇園町遺跡から出土した弥生時代から中世にかけての土器、陶磁器、
また井戸や柱穴から出土した祭祀遺物など50点を展示・ 常設展もあり
【入館料】
無料
【開催期間】
8月21日(火)〜11月18日(日)まで
【開館時間】
午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
※毎週月曜日(休日の場合はその翌日)休館
・黒崎歴史ふれあい館
〈八幡西区黒崎3の15の3黒崎駅横コムシティ1F〉
常設展開催中/『城下町から宿場町へ~出土品が語る黒崎の歴史と文化~』
『シュガーロード・発掘物語』
【入館料】
無料
【開館時間】
午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
※年中無休
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