藤沢周平『決闘の辻』(講談社文庫 新装版1988年11月 初版 講談社 1985年7月)

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生誕90年記念 藤沢周平展(2)

2017.10月号

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北九州市立文学館
学芸員 稲田大貴 

 

 北九州市立文学館では10月28日から、第25回特別企画展「生誕90年記念 藤沢周平展」を開催します。先月は、藤沢周平とその作品について、そして本展の展示コンセプトのご紹介をしましたが、今回はその中でも、九州と関わりのある二つの作品をご紹介します。
 まず一つ目の作品は北九州・小倉ともゆかりの深い剣豪・宮本武蔵を描いた「二天の窟(あなぐら)」です。短編集『決闘の辻』収録のこの作品は、小倉から熊本に移った晩年の武蔵を、史実にない決闘を通じて描いています。老いつつある壮年の武蔵は、江戸から来た剣客・鉢屋助九郎と立ち合いますが、一合も交えることなく、自ら試合を止めます。武蔵は助九郎に「負けた」と感じます。それは剣で名を馳(は)せた武蔵にとって「汚点」でした。その後、武蔵は助九郎を自宅に滞在させますが、助九郎は武蔵に「勝った」と周囲に吹聴(ふいちょう)します。そして、助九郎が旅立つ夜明け前、武蔵は一人密かに家を出、闇に紛れて助九郎を待ち伏せし、一刀のもとに切り捨てます。その数日後、武蔵は霊巌洞に籠り「五輪書」を書き始めるのです。
 このように、作家の想像力をもって、宮本武蔵という剣豪が老いてなお武芸者である姿を描き、武蔵の集大成である「五輪書」執筆に至る心のありようを藤沢は書きました。

藤沢周平『決闘の辻』(講談社文庫 新装版1988年11月 初版 講談社 1985年7月)


 もう一作は歌人・長塚節(たかし)を書いた『白き瓶(かめ) 小説 長塚節』です。茨城県に生まれた節は、正岡子規門下でその写生説を色濃く受け継ぎ、子規の「正統後継者」とも評されました。さらには小説「土」を書き、農民文学の先駆けという評価も得ました。藤沢周平は、1943(昭和18)・44(昭和19)年ごろ、平輪光三『長塚節 生活と作品』を読み、節の自然詠の短歌に感銘を受けます。山形と茨城、場所こそ違いますが、節が詠む歌に、藤沢は故郷の自然を感じたのです。それに加えて、節の人物像への親近感が藤沢を執筆に向かわせたと言われています。
 『白き瓶』は「小説」ですが、節の生涯を詳述した評伝とも呼べる作品です。咽頭結核を患った節は、それをきっかけに九州との縁を結びます。夏目漱石の紹介状を持ち、節は九州帝国大学医科大学教授・久保猪之吉の診療を受けます。久保は日本の耳鼻咽喉科学の第一人者で、歌人でもありました。妻のより江も歌人であり、節にとって夫妻は道を同じくする、親しみを感じる存在でした。また久保の弟子であり、節の主治医を務めた曽田共助は、後に北九州小倉の堺町に病院を開業するとともに、小倉郷土会を主宰し、北九州の文化シーンを牽引(けんいん)してゆくことになります。        
 節は久保博士の診療を受けるため、たびたび九州を訪れ、さまざまな場所へと出かけます。鹿児島の開聞岳(かいもんだけ)に登り、太宰府では観世音寺の仏像、鐘に感動し、歌を詠みました。また宮崎青島への転地療養を考え、訪れましたが、そこでは病人への冷たい待遇と台風に見舞われました。藤沢はこの宮崎への旅に疑問を抱き、九州への取材旅行を行っています。
 本作のタイトル「白き瓶」は、節の歌「白埴(しらはに)の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり」から採られています。藤沢は本作を次のように結んでいます。「聖僧のおもかげがあるといわれた清潔な風貌とこわれやすい身体を持っていたという意味で、この歌人はみずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかもしれないのである」。この比喩には、藤沢周平の長塚節への親愛のまなざしが表れているように感じます。

藤沢周平『白き瓶 小説・長塚節』(文藝春秋1985年11月 文春文庫版 1988年12月)


 本展でもこの二作については、詳細にご紹介します。どうぞお楽しみに。


Information
【開催期間】
 10月28日(土)〜12月10日(日)
 ※月曜日休館
 ※10月28日(土)の展示室入場は10時30分以降

【観覧料】
 一般700円 
 中高生200円 
 小学生100円

【開館時間】
 午前9時30分〜午後6時
 (入館は午後5時30分まで)

【お問合せ】
 北九州市立文学館 
 093(571)1505